サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路の起源は?町の名前の意味は何?旧市街を歩きながら歴史を学ぼう!

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スペイン巡礼路(カミーノ・デ・サンティアゴ)の最終目的地、サンティアゴ・デ・コンポステーラの町の歴史は、スペイン巡礼路と共に生まれ発展したと言うぐらい関係の深いものです。

 

最近はカミーノのブームで、サンティアゴ・デ・コンポステーラに関する情報も増えてきたと思いますが、様々な説があるコンポステーラの意味や旧市街のモニュメントを紹介しながらサンティアゴ・デ・コンポステーラと巡礼路の起源や歴史について書いてみたいと思います。

伝説によると、イエスの12使徒のひとりであるサンティアゴ(日本語ではヤコブ)はスペインでキリスト教の布教活動をしたあと、戻ったエルサレムで紀元44年に殉教します。

 

サンティアゴに関する情報は非常に少ない中、殉教した年というのは歴史の専門家の中でもこれはほぼ間違いないと言われているデータです。

 

殉教したサンティアゴの遺骸は、2人の弟子を載せた船によりガリシアまで運ばれ埋葬されたのですが、長いことその存在を忘れられた状態でした。

 

9世紀(820-830年の間という説あり)に、独り修道生活を送っていたペラーヨが星の形をした奇妙な光(サンティアゴのお墓)を発見します。

(ペラーヨが住んでいた場所、Iglesia de San Fiz de Solovio)

 

当時の司教であったテオドミロは、ペラーヨが発見したお墓はサンティアゴのものであると認め、敬虔なキリスト教徒であったアストゥリアス王国のアルフォンソ二世がサンティアゴのお墓を目指してサンティアゴまで巡礼します。

 

 

最初の巡礼者となったアルフォンソ2世が墓の上に小さな教会をたてます。

 

これがサンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源であり、サンティアゴの巡礼路の始まりでもあります。

 

どうやってそれがサンティアゴのお墓であるとわかったのか・・とツッコミどころがないとは言えませんが、次へ進みます。^^

 

コンポステーラの意味は?

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少なくとも18世紀以降から、コンポステーラの意味について専門家たちの間で議論がありました。語源学者は、ラテン語のCampus stellae(星の野)の説をほぼ全員一致で違うとしています。

 

私はお墓という意味で理解していたのですが、現在では“tierra bien compuesta o hermosa”(直訳すると、きちんと構成された場所、美しい場所)の説が有力なようです。(情報元: xacopedia.com

(追記)サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で中世の歴史を専門にしている先生にこの点を確認すると、下記の回答を頂きました。

『Xacopediaは非常に資料で裏付けして厳密に情報を扱っていて非常にいいと思います。このページではTierra compuesta o hermosaの説に少しよっていますが、Composelaの語源に関する議論はおそらくまだ続くでしょう。言語学のテーマの部分もあり、墓場の説は現段階で否定されていません。私としては、歴史的にみて墓場ととらえる方がより論理的で一貫していると思います。』

ということで、このテーマはまだ終わりが見えないようです・・・。

サンティアゴ巡礼路の発展

サンティアゴの墓発見のニュースはたちまち国外にも広がり、ヨーロッパ中から巡礼者がサンティアゴを目指して歩きはじめます。

900年頃にサンティアゴで巡礼者を受け入れる病院の存在が確認されています。

 

 

997年、コルドバにあった後ウマイヤ朝の宰相であるアルマンソールがサンティアゴの町を攻撃。当時の教会を破壊しましたが、サンティアゴがイエスの弟子であるという理由でお墓だけはそのまま壊さずに残して行きました。

 

増え続ける巡礼者を迎えるにふさわしい建物を作ろうと、1075年に現在するロマネスク様式の大聖堂建築がはじまります。

 

当時、キリスト教信者が巡礼に求めたものは、苦行やキリスト教の聖人の聖遺物に触れて魂の救済を得ることでした。例えば、『この教会では聖人〇〇の顎の骨がある』とかいいますが、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂には、イエスの使徒で最初に殉教した聖ヤコブの遺骸全身があるわけですから、当時の考えからいけば特別な意味や価値があったのではないかと想像します。

 

11世紀以降、イベリア半島の北部に小さくあったキリスト勢力が徐々に領地を奪還していき、領土を回復していきます。(国土回復運動=レコンキスタ

 

イスラム教徒と戦うキリスト教徒の心をひとつにするシンボルとして、巡礼者としてではなく馬にまたがって騎士の恰好をしたサンティアゴが表現されるようになります。

 

出典: https://lh5.googleusercontent.com

 

大聖堂の中にあるので探してみてください。人種や宗教や性別の違いで差別をしない中立的な表現をするためサンティアゴがのっている馬がイスラム教徒を踏みつけている部分は現在花で覆われています。

 

大聖には栄光の門というロマネスク様式の扉口の傑作があります。こちらに関しては、別の記事で詳しく説明していますので合わせてお読みください。

スペイン巡礼路に発展した美術の名前や特徴は?簡単に美術傑作を理解するポイントは?

 

大聖堂を囲む4つの広場とは?

サンティアゴの大聖堂は、4つの広場に囲まれています。

銀細工の広場

昔、銀細工業は教会により管理されており、銀細工師はこの広場に集まってお店を開き働いていました。

 

キンターナ広場

 

昔、この広場では死んだら聖ヤコブのお墓の近くに埋葬されたいと願う多くの人達の墓地となっていました。

 

この広場には、サンティアゴの祝日である7月25日が日曜日にあたる聖年に開かれる聖門があります。

 

サンティアゴで最も重要なお祭り『聖ヤコブ祭』についてはこちらの記事を合わせてお読みください。

サンティアゴ・デ・コンポステーラの祭り「聖ヤコブ祭」とは?期間や見どころは?

 

インマクラーダ広場

 

中世の時代、フランス人の道を歩いてサンティアゴに到着した巡礼者はこの広場から大聖堂へ入りました。

 

この広場では、サンティアゴの手工芸品のひとつであるAzabache(黒玉)がお土産として売られていたり、外国からきた巡礼者がお金を変える両替所もあった場所です。

 

オブラドイロ広場

 

元々はカテドラルの建築に関わる石工の石切り場だった広場ですが、現在では巡礼者にカミーノのフィナーレ飾る重要な広場です。大聖堂、大学の学長棟、サンティアゴの市庁舎、国営ホテルパラドールという町の権力を表す4つの建物がこの広場を囲んでいます。

 

さいごに

いかがでしたでしょうか。

 

旧市街のモニュメントや主要な広場を紹介しながら、サンティアゴ・デ・コンポステーラの町の起源や歴史について大まかなポイントを押さえて説明してみました。

 

大学の授業でとったノートのメモを久しぶりに出してまとめてみましたが、スペイン巡礼に関しては日本語でも今沢山の本が出ていると思います。

 

自分が読んだ本の中から下記2冊おすすめします。

Santiago de Compostela para los Peregrinos Guía Secreta

 

出典: http://www.bolanda.es/

 

スペイン語で書かれていますが、読みやすいです。

 

言い方がフォーマルで難しい歴史の本とは違います。大聖堂の説明なども写真を多く使っていてわかりやすいです。

 

スペイン巡礼史「地の果ての聖地」を辿る

 

 

日本語でカミーノの歴史について詳しく知りたい方におすすめします。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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