巡礼の目的地のサンティアゴ・デ・コンポステーラもやっぱり巡礼に関する意味があるの?
というあなたの質問に当記事がお答えします。
- キリスト教がなぜ聖ヤコブを重要視するのか
- サンティアゴ・デ・コンポステーラが巡礼のゴール地点である理由
- 町の名前の意味ってあるの?
という点について、はじめての方に分かりやすく説明することを目的としています。
詳細を省いている点を前提にして、お読みいただければと思います。
スペイン巡礼の歴史を分かりやすく解説
聖ヤコブとは?
キリスト教の聖人であるヤコブは、イエスの12使徒のひとりです。
漁師である父と弟のヨハネと漁に出ている時、イエスが現れ、この時からヤコブはイエスの弟子となります。
イエスに近かった重要なお弟子さんでしたが、非常に情報が少ない人物でもあります。
聖ヤコブがサンティアゴに埋葬されるまで
キリストの死後、12使徒は色んな国でキリスト教の布教活動を行いますが、
聖ヤコブが派遣されたのはイベリア半島(当時スペインという国は存在していません)と伝えらえています。
紀元44年、布教活動を終えてエルサレムへ戻った聖ヤコブはアグリッパ王に処刑されます。
殉教の年は歴史の専門家たちもほぼ間違いないと考えるデータです。
アグリッパ王からヤコブの遺体を守るために運び出した2人の弟子は、川岸にあった船に乗り
『神の手』によりエルサレムからスペインのガリシアまで運ばれます。
ガリシアのパドロンという場所から数々の奇跡を起こしながら、最終的にサンティアゴ・デ・コンポステーラに埋葬されます。
しかし、その存在は長い長い間忘れられた存在に。
ヤコブの遺骸は、スペインの北西あたりにあるはずと言及する聖職者の記述はあっても何処にあるのか分からない状態でした。
ヤコブの墓発見はいつ頃?
9世紀に、独り修道生活を送っていたペラーヨが星の形をした奇妙な光を発見します。
光の場所でペラーヨがお墓を発見し、当時の司教がサンティアゴのものだと認めると、敬虔なキリスト教徒だったアストゥリアス王国のアルフォンソ二世は、オビエドからサンティアゴまで巡礼。
最初の巡礼者となったアルフォンソ2世がお墓の上に小さな教会をたてました。
サンティアゴ大聖堂の建設はいつ?
1075年に大聖堂の建築が開始、136年の歳月をかけて1211年4月21日に大聖堂の聖別式が行われました。
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聖ヤコブがスペインの守護聖人である理由は?
9世紀、クラビホの戦いで白馬に乗った聖ヤコブがイスラム教徒と戦うキリスト教軍を勝利に導いたと伝えられています。
国土回復運動中のキリスト教徒の心をひとつにするシンボルとして、聖ヤコブはスペインの守護聖人とされました。
中世にサンティアゴ巡礼が流行った理由は?
ヨーロッパの教会でこんな説明を受けたことありませんか?
キリスト教徒でない私は、『だから何?』と思ってしまうのですが…
中世の時代、キリスト教信者は聖地へ巡礼し、聖人の聖遺物に触れて魂の救済を求めました。
骨の一部でも凄いのに、サンティアゴ大聖堂にあるのは聖ヤコブの遺骸全身。
そう考えると、サンティアゴを目指す巡礼は当時の人に特別な価値があったと想像できますよね。
巡礼路の衰退と回復
巡礼の最盛期は11~12世紀と言われていますが、
16世紀のルソーの宗教改革やヨーロッパ内で勃発する戦争や社会の変化によって衰退の時期へ入ります。
衰退と回復を繰り返しながら忘れられた存在になっていた巡礼路の現代の回復期は1980年代。
- ガリシア州のセブレイロ峠に住む神父エリアス・ヴァリ―ニャが黄色の矢印を使ってカミーノの整備。
- 1987年、欧州評議会がサンティアゴ巡礼路の『最初の欧州文化ルート』宣言。
- 同年にカミーノ・デ・サンティアゴ友の会の初会議が開催。巡礼パスポート『クレデンシャル』の発行が決定。
1993年の聖年、ガリシア州政府がフランス人の道のインフラ整備や巡礼者のサポート体制、
聖年のイベント等の企画に大きく投資をし現代のスペイン巡礼現象の復活に影響を与えました。
近年のスペイン巡礼の人気は目を見張るものがあり、最新の巡礼者データに興味がある人は次の記事をお読み下さい。
続いて、巡礼の聖地サンティアゴ・デ・コンポステーラの意味について説明します。
サンティアゴ・デ・コンポステーラの意味は?
- サンティアゴ(Santiago)は、イエス・キリストの12使徒のひとり「ヤコブ」のスペイン語名。
- デ(De)は「~の」という意味の助詞。
- 「コンポステーラ(Compostela)」は???
コンポステーラの意味は、18世紀から議論の的になっていていまだに決着がついていません。
Campus stellae?
ラテン語のCampus stellaeは、スペイン語でel campo de las estrellas、日本語で星の野原と訳します。
星の導きにより聖ヤコブのお墓が見つかった話ともつながって響きはイイですが…
語源学者の間では、ラテン語のCampus stellae(星の野)の説をほぼ全員一致で違うとしています。
他の説は?
ラテン語のcompositumは、スペイン語でcementerio、日本語にすると「お墓」という意味です。
私はこちらの説で理解していましたが、“tierra bien compuesta o hermosa”
(直訳: きちんと構成された場所、美しい場所)の説が有力とする情報もあります。
情報元: xacopedia.com
この件については、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学の中世史専門の先生から下記の回答を頂きました。
私は歴史的にみて墓場ととらえる方がより論理的で一貫していると思いますが、この議論はおそらくまだ続くでしょう。
まとめ
- サンティアゴ・デ・コンポステーラの意味は『聖ヤコブの墓』だが現在でも専門家の中で議論されている。
- 中世の時代、キリスト教徒は聖ヤコブの墓を目指し魂の救済を求めた。
- 巡礼の最盛期は11・12世紀、その後衰退や回復の歴史を繰り返した。
- 現代の回復期は1980年代から。
- 1993年の聖年にガリシア州政府がフランス人の道に大きな投資をして巡礼の人気が復活。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。