※この記事は2021年執筆当時の記録です。登場する学生さんの状況や社会情勢は当時のものであることをご了承ください。
この記事では、コロナ禍のスペインで留学を続けた日本人の体験談を紹介します。
本文は、スペイン留学記!大学の授業や友達作りから学んだ事の後編です。まだの方は、前編と合わせてお読みください。
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スペイン留学記!大学の授業や友達作りの経験から学んだ事
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まずはじめに、当時のスペインの状況を簡単に振り返ります。
感染拡大から警戒事態へ
3月初め
スペイン全土の感染者数累計が、100名台から日を追うごとに増加傾向へ
3月9日
感染者累計が999名と急速に拡大すと、日本の外務省は、スペインに感染症危険情報(レベル1)を発出
3月10日
ラ・リオハ州がハイレベル感染地域に指定
3月12日
日本の外務省は、マドリード州、バスク州及びラ・リオハ州の感染症危険情報をレベル2に引き上げ。(その他の州は、レベル1で継続)
3月13日
スペインの首相が会見を行い、翌日14日の臨時閣議で「警戒事態」を宣言する政令を発出すると発表。
学生の留学地であるガリシア州では、中央政府の警戒事態宣言の前に学校の一斉休校を決定。
大学へ通うことが出来なくなった当時の状況から聞いてみました。
日本帰国かスペイン残留か
3月13日に放送されたスペイン首相の会見を聞いて、判断の早い友達は帰国を即決断。
警戒事態宣言が出された翌週から、現地で知り合った留学生たちは次々と日本へ帰国していきました。
「もうすぐ国境が閉まるから、早く帰った方がいいよ!」
周りのそんな声に、当時の私は「そんなはずない、すぐに良くなる」とどこか意地になっていました。
けれど、頼みの綱だった奨学金の支払いが止まり、否応なしに帰国を考えざるを得ない状況に追い込まれたのです。
当時、マドリード空港では多くの便がキャンセルされ、チケットの買い直しに翻弄される友人もいました。
感染者数がまだ少なかったガリシアから、混迷を極めるマドリードへ移動すること自体が恐ろしくて、私はなかなか決断を下せずにいました。
そんな時……

いつこさんから「大丈夫?」と連絡をもらいました。
話をしながら自分の意見が少しまとまってきた気がして、自分はどうしたいのかもう一度考えてみることにしました。
またスペインへ戻ればいい
日本へ帰りたくない気持ちを一旦置いて考え直した時、もう二度とスペインに来れない訳ではないと気づきました。
無理して残らずに、日本へ帰ってバイトして、カミーノを歩くために再びサンティアゴへ戻ろうと思いました。
しかし、出国は難航
友人から「マドリード空港の利用者は3分の1ほどに減っている」と聞き、少しは感染リスクも下がっているのでは……と自分に言い聞かせてみましたが、状況は刻一刻と悪化していました。
航空券の手配に手間取っている間に、頼みの綱だったイベリア航空の21日最終便までもがキャンセル。
その報せを聞いたとき、不思議と「ああ、もう腹をくくるしかないんだ」と思えました。
「やれるだけのことをやって出られないのなら、今は動くなということ。今は流れに乗りなさい」
その時、いつこさんにそう言ってもらえたことで、張り詰めていた気持ちがふっと軽くなったのを覚えています。
突きつけられた「レベル3」と帰国命令
ビザの心配もなく、家主のマリアにも助けられているから大丈夫。そう親を説得した数日後のことでした。
スペインの感染症危険情報が「レベル3(渡航中止勧告)」に引き上げられ、日本の大学から強制帰国の命令が下ったのです。
「今は移動する方がリスクが高いのに……」 どうすべきか、再び出口の見えない不安に飲み込まれそうになりました。
大学へ伝えた、たった一つの意思
留学前の誓約書には「大学の帰国勧告には従う」と記されていました。指示には従わなければいけない。それは分かっていました。
けれど私は、今の移動がいかに自分や周囲への感染リスクを高めるかを必死に訴え、「状況が落ち着くまでは現地に留まらせてほしい」と大学へ伝えました。
すると、届いた最終方針には、こんな一文が追加されていたのです。
「現時点での帰国が安全確保に有効でない場合、相談の上で適切な帰国時期を決める」
声を上げることで道が開ける
時を同じくして、文部科学省も帰国困難な留学生への奨学金継続を決定しました。
自分たちの要望が届いたのだと知り、心の底から嬉しさが込み上げました。
それまでは「命令やルールには絶対に従うべきで、リスクがあっても帰るしかない」と思い込んでいました。
けれど、正当な理由があるのなら声を上げ、理解を求めることは決して悪いことではないのだと、身をもって学んだのです。
留学の最後に得たこの大切な経験は、これから先、何かを迷った時にきっと私の背中を押してくれるはずです。
外出規制期間はどう過ごしていた?
帰国を迷っていた時期は、友達や家族とよく連絡を取っていましたが、その後で1日の主な活動内容がご飯食べることくらいしかない日もありました。
ニュースでコロナの悲惨な状況を知り、何もできなくて落ち込んでいると…
マリアに「涙が出てきたら太陽を浴びなさい」と言われ、ひたすら絵を描いていたら、次第に気持ちが落ち着きました。
コロナが収まるのを待つと決めてから、今までやりたいなと思いつつ出来ていなかったことを思いつくままにやりました。
つまみ細工のイヤリング作り
日本の百均で買った伝統工芸「つまみ細工」の手作りキット。
自粛生活中に作ってマリアにプレゼントしたら、とても喜んでくれました。
簡単に出来るので、ホームステイ先や知り合ったスペイン人へのプレゼントにおすすめです。
家主と閉じこもり生活を楽しむ
- マリアに絵を教えてもらう
- フラメンコの衣装を着て、ダンサーになりきってみる
- ファンキーな髪型をしてマリアと一緒に写真を撮る
- マリアと歌舞伎のパックをする
と、閉じこもり生活を少しでも楽しくするように心がけました。
外出規制期間で大学の授業はどうなった?
- オンライン授業
- YouTubeでの授業配信
- 音声付きのパワーポイント
と、科目によって対応は様々でしたが、オンライン授業を受けていました。
評価方法もテストからレポート提出へ変更し、グループでのレポート課題は、ワッツアップで他の学生と連絡しながら進めました。
外出規制期間の方がスペイン語を話す機会が増えた
閉じこもり生活中、マリアと毎日交代でお昼ご飯を作って料理を教え合いました。
食後にゆっくりコーヒーを飲みながら、日本とスペインの文化の違いについてよく話をしました。
インテルカンビオ(スペイン語と日本語の交換授業)の相手もコロナで仕事が出来なくなり、スカイプで頻繁に授業をするようになりました。
外出できなくなったのに、前よりもスペイン語を話す機会が増え、日本についてもよく調べるようになりました。
コロナ禍のスペインに残って良かった?
他の学生の事を考えると、私だけ残れてしまったことに対して申し訳なさや罪悪感はありました。
しかし、自粛期間中の生活がなかったら学べなかったことがたくさんあったので、スペインに残って良かったです。
自立してエネルギー溢れるスペイン人女性(マリア)の考え方や生き方に触れる事ができていい影響を受けました。
留学前と今の自分を比べて
日本にいた時の自分は、とにかく失敗しちゃいけない気持ちが強かったのですが、
今は失敗してもその経験がその後の話のネタになるから失敗したっていいんだと思えるようになりました。
日本では、人と接する時に向こうから声をかけられたら嬉しいのに、自分から声をかけたら相手に迷惑かも、と理由をつけて自分から声をかけるのが苦手でした。
でも、スペインでは自分から声をかけなければ何も始まらない。
怖くない、とりあえず声をかけてみようと行動に移した事で、少しずつ何でもとりあえずやってみようと考えるようになりました。
2020年6月に帰国
外出規制が緩和され、現地でお世話になった人たちに直接会ってお別れして日本へ帰りました。
空港で検温・PCR検査・唾液採取検査をした後、ホテルで14日間の隔離生活を送りました。
映画鑑賞、就活の準備、留学中に知り合った友達とスカイプでおしゃべり等して過ごしました。
今は、バイトと就活を頑張る日々を送っています♪
おわりに
2020年3月、帰国か残留かで決断できない彼女と話をした時、『自分の留学をどうしたい?もう一度考えてごらん。』と言いました。
サンティアゴで彼女に初めて会った時、「自分は年上の人、特に母親の言う事は絶対に従う部分があったので、スペインでは自分主体にやってみたいと思いました。」と話してくれたのを覚えていたからです。
あの時、警戒事態宣言を受けて帰国を即決した学生の決断が一番正しかったのかもしれませんが…
事態が二転三転する中で自分で考えて行動し、日本の大学等へ自分の意思を伝える過程を追いながら、彼女はとても貴重な経験をしていると思いました。
年が変わっても状況は改善するどころか悪化しているとさえ感じます。
留学できずにいる学生の気持ちを考えると、複雑な気持ちになりますが、スペイン留学を考えている学生に本文がいい刺激になれば嬉しいです。
最後まで読んでいただきありがとうございました。