この記事では、ベラスケスの生涯と時代別の重要作品を紹介します。
画家の中の画家と呼ばれたベラスケスですが、彼の作品の3分の2を所有するのはマドリードのプラド美術館です。
本文を読めば、プラド美術館に展示させれているベラスケスの作品を見え方が変わりますよ。
彼の最高傑作である『ラス・メニーナス』に隠された謎について説明しますので、是非ご覧ください!
ベラスケスの出身地は?初期の代表作品は?
ベラスケスは、1599年にセビリアで生まれました。
フルネームは、Diego Rodríguez de Silva y Velazquez(ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス)です。
ベラスケスは母親の第一苗字なんですね。
彼の絵の才能を見出した両親は、当時セビリアで有名な芸術家フランシスコ・パチェコにベラスケスを弟子入りさせます。
その後、彼はパチェコの娘と結婚し、24歳でマドリードへ移り宮廷画家となります。
セビリア時代の代表作に
- Adoración de los reyes magos(東方三博士の礼拝)
- La venerable madre Jerónima de la Fuente(修道女ヘロニマ・デ・ラ・フエンテ)
があります。
宮廷画家初期の代表作品は「バッカスの勝利(酔っぱらいたち)」です。
イタリア旅行の理由やこの時期の作品は?
1629~1631年の2年間、ベラスケスはティントレットやミケランジェロの作品に触れ、イタリア美術を学びながら、フェリぺ4世が所有する宮殿内に飾る美術品の買い付けをしました。
出典: https://upload.wikimedia.org
ローマのヴィラ・メディチに2か月間滞在したベラスケスが描いた作品『Vista del jardín de la Villa Médicis(ヴィラ・メディチ庭園の景色)』があります。
小さい風景画です。『どこが重要なの?』と思いますよね。
当時、王様や教会など作品の依頼者(顧客)が望むものを描く画家が、目に前の風景をメインに絵を描くことが新しい事でした。
イタリアから戻った後の代表作品は?
イタリアから戻ったベラスケスは、再び宮廷画家として肖像画を描きながら、
マドリードの市外に建設された新しいブエン・レティ―ロ宮殿やフェリペ4世が
狩猟で出かけた時に利用する狩猟塔(Torre de la Parada)の装飾プロジェクトに携わります。
この頃の主な代表作はこちらです。
- CRISTO CRUCIFICADO(キリストの磔刑)
- LA CORONACIÓN DE LA VIRGEN(聖母の戴冠)
- LAS LANZAS O LA RENDICIÓN DE BREDA(ブレダの開城)
- EL PRÍNCIPE BALTASAR CARLOS, A CABALLO(王太子バルタサール・カルロス騎馬像)
- その他、王家のメンバーの肖像画
王太子バルタサール・カルロス騎馬像は、日本で開催されたプラド美術館展で見ることができましたね。
1640年代のスペインとは?ベラスケスは再びイタリアへ
1640年代のスペインは、軍事的や経済的な面で危機的な状況に陥りますが、
- 1640年にカタルーニャで農民反乱。戦争は1652年まで続き、独立寸前までいった。
- 1640年12月、ポルトガルでも反乱。ポルトガルはスペインから独立した。
と、政治的に非常に混乱しました。
この状況でもフェリペ4世の美術コレクション収集への情熱は冷めず、
再び美術品の買付けにベラスケスをイタリアへ送ります。
2度目のイタリア滞在中に子供が生まれたり、ベラスケスは公私ともに非常に充実した期間を送ります。
この時期の作品に「FERDINANDO BRANDANIの肖像画」があります。
次に、彼の最高傑作「ラス・メニーナス」と作品に隠された謎について見てみましょう。
ベラスケスの最高傑作「ラス・メニーナス」とは?
『ラス・メニーナス』の舞台はフェリペ4世のマドリード宮殿の大きな一室である。
人物像のうち、幾人かはカンバスの中から鑑賞者の側に向かって注意を向け、残りの幾人かが互いに交流している。幼いマルガリータ王女を取り囲んでいるのは、お付きの女官、侍女、目付役、2人の小人と1匹の犬である。
彼らの背後には、大きなカンバスに向かうベラスケス自身が描かれている。ベラスケスの視線は、絵の中の空間を超えて、絵の鑑賞者自身の立ち位置の方向に向けられている。
背景には鏡がかかっていて、王と王妃の上半身が映っている。王と王妃は、絵の外、つまり鑑賞者の立ち位置と同じ場所に立っているように見える。
引用: Wikipedia
次に本題の謎の部分に迫りますが、その謎とは作品に描かれているべラスケスの胸元にある十字架が関係します。
胸元の赤いマークにまつわる謎とは?
ベラスケスの胸元に見えるのは、サンティアゴ騎士団の十字章です。
サンティアゴ騎士団 (Orden Militar de Santiago)は、12世紀にイベリア半島で国家の庇護のもと設立された騎士団。ガリシアとアストゥリアスの聖人・聖ヤコブの旗のもと、イベリア半島のイスラム勢力との戦いで名を成した。
聖ヤコブ信仰の中心地サンティアゴ・デ・コンポステーラ(ガリシア)は、騎士団の発祥地・本拠地ではない。レオン王国の首都レオン、カスティーリャ王国の都市ウクレスが、発祥地の候補として争っている。
引用: Wikipedia
サンティアゴ騎士団のメンバーに選ばれるには、
キリスト教徒であることや4世代前の家系まで遡って高貴な家の出身か等の厳しい条件をクリアする必要があります。
ベラスケスはポルトガルからセビリアに移りキリスト教に改宗したユダヤ人(コンベルソス)の子孫であることから
騎士団への加入を拒否されます。
しかし、フェリペ4世が当時のローマ教皇へ懇願し、1659年11月28日に晴れてサンティアゴ騎士団の一員となります。
ところが、ベラスケスがラス・メニーナスを描いたのは1656年、騎士団加入の3年前です。
メンバーでもないのに騎士団の十字章を自らの胸元に描いたではなく、1656年の完成後に手直しされたことになります。
生前にベラスケス自ら十字章を描き加えたとする説が有力ですが、
絵のタッチからベラスケス自身が手直ししたと100%確定できないというプラド美術館の専門家の意見もあります。
手直しの時期を知る資料もないので、フェリペ4世が後ほど手直ししたとする説もあるくらいです。(情報元: abc.com)
さいごに
プラド美術館に展示されているベラスケスの作品のほんの一部を彼の生涯と重ねながら紹介しましたがいかがでしたでしょうか。
プラド美術館にあるベラスケスの作品は、美術館のビリャヌエバ館1階(Planta primera)の部屋(7、9A、10、11、12、14、15、15A)に展示されています。
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