ピカソの長い名前とは?最初の作品展の場所は?初恋の相手を描いた絵とは?

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ピカソは世界的に超有名な20世紀を代表する芸術家です。

 

彼の名前を聞いて「キュービズム」や「ゲルニカ」といった言葉を連想する人が多いはずです。

キュービズムは芸術のムーブメントで、1907年にさまざまな画家、特にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックを中心に始まりました。

初期のキュービズムの目的は、平面であるキャンバスに立体を持ち込むことでした。

丸や四角、菱形のような幾何学的な形を用いて、物の輪郭だけを残して、現実を単純に表現しました。

やがてもう少し洗練されてきて、対象物をばらばらにして、ピースひとつひとつを別々の物として描くようにしました。

引用元: キュービズムとは何でしょうか?

 

ピカソはスペインのマラガで生まれましたが、父親の仕事の都合でガリシアのコルーニャやバルセロナで過ごした経験があり、その後フランスのパリへ移り晩年を南フランスで過ごしました。

 

コルーニャでは【ピカソの街(Ciudad de Picasso)】と題したガイドツアーがあり、コルーニャで過ごした幼少期のピカソの興味深いエピソードを知ることができます。

 

予備知識までに彼の名前について触れてから、コルーニャ市でピカソが初めて自分の作品展を行った場所や初恋の相手を描いた絵などピカソとコルーニャの関係について紹介します。

 

出典: http://www.diariosur.es

 

1881年10月25日に生まれたピカソは、翌月の11月10日に自宅近くの教会で洗礼を受けました。

上の洗礼証明書からわかるように、ピカソの名前はとにかく長いんです!

Pablo Diego José Francisco de Paula Juan Nepomuceno María de los Remedios Cipriano de la Santísima Trinidad Ruiz y Picasso

名前→ パブロ、ディエゴ、ホセ、フランシスコ・デ・パウラ、フアン・ネポムセノ、マリア・デ・ロス・レメディオス、シプリアノ・デ・ラ・サンティシマ・トゥリニダ

苗字→ ルイス・ピカソ

 

当時は長い名前を付けるのが流行していたようです。

 

スペイン人の名前については、こちらの記事で詳しく説明しておりますので合わせてこちらもお読みください。

スペイン人の名前の特徴や付け方は?苗字の構成は?女性と男性で人気の名前は?

 

ピカソがコルーニャに住んでいたのはいつ?

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マラガに住んでいたピカソ一家は父親(ホセ・ルイス)の仕事の都合でコルーニャへ引越します。

 

経済的な理由や芸術家としての名声を得るための移住でしたが、父親のホセはコルーニャでの生活にあまり満足していなかったそうです。

 

(ツアーのスタートポイントであるマリア・ピタ広場にて)

 

私がツアーに参加した日はあいにくの雨、毎日太陽が出ているのがが当たり前のマラガと比べたらやはりガリシアの天気は少しキツイところがあったのかもしれません。

 

ピカソ一家がコルーニャに滞在したのは1891年から1895年までのわずか4年間。

 

天気の悪さも原因のひとつだったかもしれませんが、一家がコルーニャからバルセロナへ移った一番の理由は・・・・

 

もう少し後で教えますね。^^

ピカソ最初の個展の場所は?

 

マリア・ピタ広場を出て、コルーニャの旧市街にあるレアル通り(Calle Real)へ出ます。

 

レアル通り20番地には、下記のようにプレートが付いています。

 

 

 

ここはピカソが生まれて初めて自分の作品を集めて展覧会を行った場所で、当時の様子を知ることができる新聞の記事も残っています。

 

 

 

記事の内容をざっくり要約すると、

 

レアル通りにある家具屋の倉庫にて、美術学校の教師ルイス・ブラスコ氏の13歳の息子が描いた油絵の展覧会がおこなれた。

絵も中々上手に書けているし、色の配色もうまい。13歳という年齢から考えると、全ての面で優れている。

このままいけば彼には芸術家としての輝かしい未来がやってくるだろう。

 

ピカソの将来をすでに予想していたこの新聞記者も凄いなと思いますが、それぐらい画家としてのピカソの才能が秀でていたということなんでしょうね。

 

ちなみに、記念プレートの真ん中にピカソの名前が書いてあるのですが読めますでしょうか?

 

PABLO RUIZ PICASSOと書いてあります。

 

のちに母親の苗字だけをつかってPABLO PICASSOと署名しますが、この時期の絵には父親の苗字も使用しています。

 

ピカソの初恋の相手は?

出典: http://www.abc.es

1895年の作品で、La niña de los pies descalzos(裸足の少女)といいます。

 

モデルになっている少女の名前は、アンヘレス・メネンデス・ヒル(Ángeles Méndez Gil)

 

ピカソの初恋の相手です。

 

コルーニャで有名な医者の娘だったアンヘレスは、ピカソの上の妹ロラ(Lola)と同じダンス教室に通っていました。

 

ピカソはそこで彼女に出会ったそうです。

ピカソ一家がコルーニャを出た理由は?

 

コルーニャでピカソ一家が住んでいたのは、Payo Gomez(パジョ・ゴメス)通りです。

 

コルーニャで画家としての才能を発揮し初恋も経験したピカソ少年ですが、非常に辛い出来事も体験しました。

 

それは彼の下の妹コンチータ(Conchita)の死です。(画像はConchitaの部屋。)

 

1895年1月10日、ジフテリアにかかってわずか7歳で亡くなります。

 

 

画像の左側にある絵は、ピカソの父の友人でもありコンチータの医者だったRamón Pérez Costales(ラモン・ぺレス・コスタレス)をピカソが描いたものです。

 

コスタレス医師は、当時フランスで発見されたジフテリアに効くワクチンを手配したものの、ワクチンが届いたのはコンチータの死から2週間後だったそうです。

 

さいごに

いかがでしたでしょうか。

 

Payo Gomez通りのピカソの家では、ピカソの寝室やコルーニャで過ごした時期に描かれた絵を見ることができます。

 

この家に展示されている唯一オリジナルの絵は、何羽もの鳥が描かれた父ホセ・ルイスの作品です。この絵にもエピソードがあり、父が散歩から帰ってくると、ピカソ少年が完成していない鳥の足の部分を描いていました。

 

それを見たホセは自分の家にいる本当の芸術家は息子だと認識し、ピカソに絵具の筆を渡したそうです。

 

ピカソの家・美術館は無料で見学できます。

Casa Museo Picasso

  • 住所: Calle Payo Gómez 14, Bj y 2. 15004 A Coruña (クリックすると地図の画面に飛びます。)
  • 開館時間: (火曜~土曜)11: 00 – 13:30、18:00 ー 20:00(日曜日・祭日) 12:00 ー 14:00
  • 閉館日: 月曜日

 

ピカソのガイドツアーも本当におすすめです! こちらの記事からツアーの日程や予約方法などをご確認下さい。

ア・コルーニャの観光は演劇形式のガイドツアーが面白い!料金や予約方法は?

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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