コルーニャのピカソの家美術館とは?どんな作品があるの?町を離れた理由は?

コルーニャにはピカソ一家が住んだ家を改修した美術館があります。

 

ピカソが住んだ町の中であまり知られていないかもしれませんが、画家として最初の個展を開いたりプライベートで非常に重要な出来事を体験したのもコルーニャでした。

 

ピカソの家美術館にある作品を紹介しながらコルーニャで生活した時のピカソについて説明します。

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マラガに住んでいたピカソ少年はちょうど10歳の誕生日を迎える前に、家族全員でコルーニャへ引越します。

 

 

父親のホセ・ルイス(Jose Ruiz)がコルーニャの美術学校での就職が決まったことや芸術家としてさらなる名声を得るための移住でしたが、ホセ・ルイスはコルーニャでの生活にあまり満足していなかったそうです。

 

1年の300日が晴れというマラガから来た人からすれば、ガリシアの天気はキツイところがあったと思います。

 

ピカソ一家がコルーニャに滞在したのは1891~1895年までのわずか4年間です。

 

天気の悪さは原因のひとつだったかもしれませんが、家族がコルーニャから次の都市バルセロナへ移った一番の理由は・・・・

 

もう少し後で説明します。^^

 

ピカソの家はどこにあるの?

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ピカソ一家は、コルーニャ市のパジョ・ゴメス通り14番地に住んでいました。

 

2002年よりピカソの家美術館(Casa Museo Picasso)として一般に公開され、ピカソと家族が住んでいた当時の家の様子を知ることができます。

 

この家の下にもうひとつ小さい美術館・ショップがありますので合わせて寄ってみて下さい。

 

【Casa Museo Picassoの営業時間】

  • 火曜~土曜日 11:00~13:30、18:00~20:00
  • 日曜祝祭日 12:00~14:00

【閉館日】 月曜日

【入場料】 無料

 

ピカソの初恋の相手は?

出典: http://www.abc.es

美術館では父ホセ・ルイスによる4作品とピカソ少年が描いた28作品の合計33作品が展示されています。

ここでは、ピカソが13歳の時に描いた作品「裸足の少女(La niña de los pies descalzos)」を紹介します。

 

モデルになった女の子の名前はアンヘレス・メネンデス・ヒル(Ángeles Méndez Gil)ピカソの初恋の相手です。

 

コルーニャで有名な医者の娘だったアンヘレスは、ピカソの上の妹ロラ(Lola)と同じダンス教室に通っていてピカソはそこで彼女に出会ったそうです。

 

ピカソの家美術館唯一のオリジナル作品は?

 

美術館にある唯一のオリジナルの作品は、何羽もの鳥が描かれた父ホセ・ルイスの作品です。

 

ある日、ホセ・ルイスが散歩から帰ってくると、未完成だったある鳥の足の部分をピカソ少年が描いていました。

 

それを見たホセは家にいる本当の芸術家は自分ではなく息子だと気づき、ピカソに絵具の筆を渡したというエピソードがあります。

 

ピカソに芸術的影響を与えたのは誰?

画家である父親の影響はもちろんですが、コルーニャでパブロ少年に芸術的インスピレーションを与えた人物がいます。

 

ピカソの親友アントニオの父、グメルシンド・パルド・レゲラ(Gumersindo Pardo Reguera)です。

 

グメルシンドは薬局を営む傍ら芸術家として絵も描いており、当時アントニオの家へよく遊びに行っていたピカソはグメルシンドが所有する絵を鑑賞していました。

 

コルーニャで商店やカフェが並ぶにぎやかなレアル通り(Calle Real)の96番地にグメルシンドの薬局・家があったのですが、今この場所へ行ってみると・・・

 

 

やはり現在も薬局があります。(所有者はグメルシンドと関係はないと思います。)

 

ピカソの最初の個展の場所は?

 

同じレアル通り20番地へ行くと、あるプレートが見えます。

 

ピカソが初めて自分の作品を集めて展覧会を行った場所だと伝えており、当時の新聞記事も残っています。

 

一部分のみの訳になりますが・・・

レアル通りにある家具屋の倉庫にて、美術学校の教師ルイス・ブラスコ氏の13歳の息子が描いた油絵の展覧会が行われた。

絵も上手に描けているし、色の配色もうまい。13歳という年齢から考えると、全ての面で優れている。

このままいけば彼には芸術家としての輝かしい未来がやってくるだろう。

 

ピカソの将来をすでに予想していたこの新聞記者も凄いなと思いますが、それぐらい画家としてのピカソの才能が秀でていたということでしょう。

 

ちなみに、この時代の彼の絵には父親の苗字も使用し、PABLO RUIZ PICASSOとサインしています。

 

コルーニャで起こった辛い出来事とは?

コルーニャで画家としての才能を発揮し初恋も経験したピカソ少年ですが、非常に辛い出来事も体験しました。

 

それは、彼の下の妹であるコンチータ(Conchita)の死です。

 

ジフテリアにかかったコンチータは、1895年1月10日にわずか7歳で亡くなります。

 

ピカソの父の友人でもあり医者のラモン・ぺレス・コスタレス(Ramón Pérez Costales)は、当時フランスで発見されたジフテリアに効くワクチンを手配しましたが、ワクチンが届いたのはコンチータの死から2週間後だったそうです。

 

コンチータの死をキッカケにピカソ一家はこの後バルセロナへ移住することを決めます。

 

まとめ

ピカソのコルーニャ滞在時代のポイントを下記の通りまとめます。

  • ピカソは、父親の仕事で10歳からの約4年間をガリシア州コルーニャ市で過ごした。
  • ピカソ一家が住んだ家は現在ピカソの家美術館となっている。
  • コルーニャで出会った景色や人物など少年時代にピカソが描いた絵を見ることができる。
  • ピカソの最初の個展はコルーニャのレアル通りの倉庫だった。
  • ピカソの妹コンチータはコルーニャ滞在期間に亡くなった。

 

ピカソの家美術館の見学を含め、19世紀にピカソ少年が見たコルーニャ市について学べるガイドツアーがありますので、興味のある方は、こちらの記事も合わせてお読みください。

ア・コルーニャの観光は演劇形式のガイドツアーが面白い!料金や予約方法は?

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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