アート&建築

ピカソの子供時代コルーニャでの知られざるエピソードを紹介

コルーニャのピカソの家にある絵具

この記事では、マラガ出身のピカソが家族と移住したガリシア州コルーニャでの生活について紹介します。

 

ピカソがコルーニャに移ったのは、彼がちょうど10歳を迎えるころでした。

 

理由は、父親のホセ・ルイスがコルーニャ市の美術学校で仕事を見つけたからです。

 

滞在期間が1881~1885年の4年間と短いため、ピカソがコルーニャにいたことを知らない人もいるかと思います。

 

コルーニャ時代のピカソについて簡単にまとめてみましたので、良かったら最後までお読みください。

コルーニャでピカソが住んだ家の場所

 

ピカソが住んだ家は、パジョ・ゴメス通りの14番地にあります。

 

2002年よりピカソの家博物館として一般に公開され、ピカソ一家が住んでいた頃の様子を知ることができます。

 

Casa Museo Picasso情報

  • 火曜~土曜日 11:00~13:30、18:00~20:00
  • 日曜祝祭日 12:00~14:00
  • 閉館日は月曜日
  • 入場料は無料

 

ピカソ初の個展の場所

ピカソの初個展場所レアル通り20番地

 

コルーニャ市役所があるマリア・ピタ広場からレアル通りを進むと、ピカソが13歳の時に個展を開いたという内容のプレートが飾ってあります。

 

家具屋の倉庫スペースで開かれたピカソの作品展の様子を伝えた記事も残っています。

 

コルーニャの美術学校で教鞭をとるルイス氏の13歳の息子が油絵の作品展を開いたと始まり、作品展を見た新聞記者の感想部分が下記の通り。

 

絵も上手に描けているし、色の配色もうまい。まだ13歳と若いが、全ての面で優れている。

このままいけば彼には芸術家としての輝かしい未来が待っているだろう。

 

ピカソの将来をすでに予想したような文章。

 

それぐらい画家としてピカソの才能が秀でていたということを表しています。

 

ちなみに、ピカソは作品にPABLO PICASSOと署名しますが、この頃はまだPABLO RUIZ PICASSOと両親の第1苗字でサインしていました。

 

スペイン人の名前や苗字の構成についてはこちらの記事で詳しく説明していますので、宜しければ合わせてお読みください。

 

ピカソに芸術的影響を与えた人物

レアル通りの96番地に、ピカソ少年に芸術的インスピレーションを与えた人が住んでいました。

 

その人物は、ピカソの親友アントニオの父親グメルシンド・パルド・レゲラ(Gumersindo Pardo Reguera)

 

グメルシンドは、薬局を営む傍ら芸術家として絵も描いていました。

 

親友の家でよく遊んでいたピカソ少年は、グメルシンドが所有する絵を鑑賞していました。

 

グメルシンドと関係ないようですが、レアル通り96番地は現在も薬局があります。

 

ピカソの初恋の相手

コルーニャにあるピカソの家博物館では、

  • 父ホセ・ルイスによる4作品
  • ピカソ少年が描いた28作品

の合計33作品が展示されています。

 

裸足の少女(La niña de los pies descalzos)

(ピカソの家博物館の中で展示されている裸足の少女)

 

「裸足の少女(La niña de los pies descalzos)」という作品のモデルとなった女の子は、ピカソの初恋の相手です。

 

女の子の名前はアンヘレス・メネンデス・ヒル(Ángeles Méndez Gil)。

 

コルーニャの有名な医者の娘だったアンヘレスは、ピカソの上の妹ロラ(Lola)と同じダンス教室に通っていました。

 

ピカソの父が息子の才能を認めた絵

父ホセ・ルイスの鳩の絵

 

ピカソの家博物館で唯一展示されているオリジナル作品は、上に紹介している何羽もの鳥が描かれた父ホセ・ルイスの絵。

 

ある日、ホセ・ルイスが散歩から帰ってくると、未完成だった鳥の足をピカソ少年が描いていた。

ピカソが描いた鳥の足を見た瞬間、ホセルイスは我が家にいる本当の芸術家は息子だと気づき、ピカソに絵具の筆を渡した

というエピソードがあります。

 

コルーニャでピカソが体験した辛い出来事

移り住んだコルーニャで初恋を経験したり、画家としての才能を発揮したピカソ少年ですが、とても辛い出来事も体験しました。

 

それは、一番下の妹であるコンチータ(Conchita)の死です。

 

ジフテリアにかかったコンチータは、1895年1月10日にわずか7歳で亡くなります。

 

ピカソの父の友人でもあり医者のラモン・ぺレス・コスタレスは、当時フランスで発見されたジフテリアに効くワクチンを手配しますが、ワクチンが届いたのはコンチータの死から2週間後でした。

 

コンチータの死をきっかけに、ピカソ一家はコルーニャを離れてバルセロナへ移住します。

 

まとめ

  • ピカソは父の仕事の都合で、10歳の時にコルーニャに移り住んだ。
  • ガリシア州コルーニャ市で過ごしたのは4年間。
  • コルーニャのレアル通りにあった倉庫を使って油絵の作品展を行った。
  • ピカソの妹コンチータはコルーニャで亡くなった。
  • ピカソ一家が住んだ家は、現在博物館となっている。
  • コルーニャで出会った景色や人物など少年時代にピカソが描いた絵を見ることができる。

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最後まで読んで頂きありがとうございました。

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堀 いつこ

日本人で唯一のガリシア州公認観光ガイド。サンティアゴ・デ・コンポステーラ大学で観光マネージメント修士課程修了。同大学で留学生サポート業務を約4年経験。2019年にサンティアゴ巡礼専門の旅行会社に就職。まだ認知度が低いサンティアゴやガリシアの魅力を伝えるのが私のミッション。詳しいプロフィールはこちら

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