この記事では、スペインの年越しの習慣についてお話します。
日本の年越しといえば、そばですが、スペインで食べるのは、ぶどうです。
本文では、年越しのぶどうについて次の点についてお話します。
- 年越しにぶどうを食べるとどうなるの?
- 年越しのぶどうの食べ方
- この習慣の由来
年越しにぶどうを食べる時間は?
深夜0時に鳴る12の鐘の音(ドセ・カンパナーダス)に合わせてブドウを食べます。
新年の12カ月を意味する12粒のブドウを、鐘の音と共に全部食べると、その年は縁起がよいとされます。
年末前のスーパーや八百屋へ行くと、カウントダウン用のぶどうが目立った場所に陳列されます。
続いて、31日の夜のカウントダウンについて詳しく説明します。
どこの鐘の音を聞いてぶどうを食べるの?
スペインの首都マドリードにあるソル広場(プエルタ・デル・ソル)の時計台の鐘です。
スペインの各テレビ局が、ソル広場の時計台前でドセ・カンパナーダスの生中継を行います。
ドセ・カンパナーダスはどんな風に鳴るの?
ドセ・カンパナーダスの様子を伝える動画を紹介しますが、見る前に下記3点を注意して見てください。
- 金色のボールが下に降ります。(連携しているチェーンの動きでカリヨン(組み鐘)が鳴ります。)
- ロス・クワルトス(クワルトは4分の1の意味)4回鐘が鳴りますが、ここでブドウは食べません。
- ロス・クワルトスの後に鳴る鐘の音に合わせてぶどうを口にいれていきます。
ぶどうを食べる風習の由来は?
年越しにぶどうを食べるようになった理由ですが、実はふたつ説があるのでどちらも紹介します。
1909年のぶどう大豊作説
1909年、ぶどうの大豊作で余ったブドウをアリカンテのぶどう農家が「幸運のぶどう」とプロモーションし、スペイン国内で広く民衆の間でも食べられるようになったという説があります。
ネットで探すと結構こちらの説が出てきますが、次の説も興味深いです。
ぶどうの習慣はマドリードから?
スペインの全国紙エル・パイス紙の記事によると、1909年のぶどう豊作前、マドリードですでにぶどうを食べる習慣がありました。
- マドリードのLa iberia紙(1893年1月1日付)で、マドリードでぶどうを食べる習慣があると伝えている。
- 1897年1月1日のEl impacial紙では、奇跡のぶどう(Las uvas milagrosas)というタイトルで、深夜0時に鐘の音に合わせて12粒のブドウを食べることやぶどうは安いので誰でもできるといったことを伝えている。
上記の理由で、エル・パイス紙の記事は1909年のぶどう豊作説を否定。
年越しにぶどうを食べる風習をポピュラーにしたのはぶどうの豊作ではなく、当時の習慣の変化だとしています。
当時のマドリードでは、年越しは家で家族と過ごし、外にでて大騒ぎをするのは1月6日のレイジェスでした。
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1月6日にお酒を飲んで大騒ぎする人が多いので、1882年にマドリード市役所がこの日に通りで騒ぐ人に5ペセタを徴収するとしました。
当時の5ペセタはとても高額、1月6日に大騒ぎできなくなったマドリード人がどうしたかというと…
年越しにぶどうを食べる風習をよりポピュラーなお祭りにと、プエルタ・デル・ソル広場の時計台の前でぶどうを食べるようになったというのです。
1903年に、ぶどうを食べて祝う様子が初めて新聞で取り扱われ、1915年のエル・パイス紙(1月1日)の記事はこう説明しています。
12粒のぶどうを食べる流行は、19世紀末に貴族階級の家族がキリスト教とは関係ない縁起をかつぐものとして家庭やレストランで内輪に行っていた。20世紀に入り、街頭で行ううるさくて粗野なお祭りになった。
どっちの説が正しいの?
マドリードでは1909年以前にぶどうを食べていたのが事実としても、全国に広まった理由として最初の説であるアリカンテのぶどうの豊作も関係はあるのではないかと思いました。
まとめ
- 12粒のブドウは新年の12か月を意味する。
- 深夜0時に鳴る12の鐘の音(ドセ・カンパナーダス)に合わせてブドウを食べる。
- 全部食べると、その年は縁起がよいとされます。
- マドリードのソル広場(プエルタ・デル・ソル)にある時計台の鐘を聞いてぶどうを食べるのがポピュラー。
- 年末にぶどうを食べる風習の由来には2つの説がある。
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最後まで読んで頂きありがとうございました。