パブロ・ピカソといえば、生誕地のマラガや、巨匠として名を馳せたバルセロナ、パリを思い浮かべる方が多いかもしれません。
しかし、彼が「パブロ・ルイス」という一人の少年から、画家「ピカソ」へと脱皮を遂げた重要な4年間(1891〜1895年)を過ごしたのは、ここガリシア州のア・コルーニャでした。
10歳から14歳という多感な時期、この街の光と影が天才にどのような影響を与えたのか。現地公認ガイドが、ピカソの原点を辿る物語をご紹介します。
ピカソがコルーニャに住んだ理由と場所
ピカソがコルーニャへ移り住んだのは1891年、彼が10歳の時でした。理由は、画家の父ホセ・ルイスがコルーニャの美術学校(Escuela de Bellas Artes)での職を得たためです。
一家が1895年までの4年間を過ごした住居は、現在「ピカソの家博物館(Casa Museo Picasso)」として公開されています。
- 場所:Calle Payo Gómez, 14, 15004, A Coruña
- 開館時間:
- 火曜〜土曜:11:00 〜 13:30 / 18:00 〜 20:00
- 日曜・祝日:12:00 〜 14:00
- 閉館日:月曜日
- 入場料:無料(Entrada gratuita)
館内では、彼が当時使っていた家具の再現や、少年時代に描いた習作の複製を見ることができ、天才の息吹を間近に感じられます。
13歳での初個展と「天才」の予感

ピカソが初めて自分の作品を世に問うたのは、コルーニャの目抜き通りである「レアル通り(Calle Real)」でした。
1895年、わずか13歳のピカソは、家具屋の倉庫スペースで初の作品展を開催します。
まだ本名である「パブロ・ルイス」と署名していた頃。当時の地元紙には、彼の才能に驚愕した記者の言葉が残っています。
色の配色も優れ、全ての面において秀でている。このままいけば、彼には芸術家としての輝かしい未来が待っているだろう
ピカソの将来をすでに予想したような文章。それぐらい画家としてピカソの才能が秀でていたということを表しています。
父が筆を置いた「鳩の足」の逸話

ピカソの家博物館には、彼の父ホセ・ルイスの作品も展示されています。
ここで有名なエピソードが、父が息子の才能を認め、自ら筆を置く決意をしたという話です。
ある日、父が描きかけの鳥の絵を置いて外出し、戻ってくると、そこにはピカソ少年が描き加えた、驚くほど写実的で完璧な「鳩の足」がありました。
それを見た父は「もう息子に教えることは何もない」と悟り、自分の絵具と筆をピカソに譲ったと言われています。
初恋と名作『裸足の少女』

コルーニャ時代、ピカソは淡い初恋も経験しています。相手は、妹ロラと同じダンス教室に通っていた、地元の有力な医者の娘アンヘレス・メネンデス・ヒルという少女でした。
ピカソの初期の名作として知られる『裸足の少女(La niña de los pies descalzos)』のモデルは、このアンヘレスだと言われています。当時の家博物館には、彼が描いた習作が多く展示されており、少年らしい瑞々しい感性が今も息づいています。
妹コンチータとの悲しい別れ
コルーニャでの生活は、1895年、突然の悲劇で幕を閉じます。
最愛の末の妹コンチータがジフテリアにより、わずか7歳でこの世を去ったのです。
ピカソの父の友人でもあり医者のラモン・ぺレス・コスタレスは、当時フランスで発見されたジフテリアに効くワクチンを手配しますが、ワクチンが届いたのはコンチータの死から2週間後でした。
ピカソは「妹が助かるなら、二度と絵は描かない」と神に誓ったと後年の回想録で語っています。
この別れをきっかけに、一家はコルーニャを去り、バルセロナへと移住しました。
まとめ:コルーニャの潮風が育んだ感性
ア・コルーニャでの4年間は、ピカソにとって「初個展」「父からの継承」「初恋」「死別」という、人生のエッセンスが詰まった時期でした。
現在のコルーニャを歩くと、レアル通りや彼が通った学校など、至る所に巨匠の足跡を見つけることができます。ぜひ現地で、彼の絵の背後に流れるガリシアの光を感じてみてください。
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