サンティアゴ・デ・コンポステーラにあるサン・マルティン・ピナリオ修道院。
マドリード郊外にあるエル・エスコリアル修道院に次いでスペインで2番目に大きい修道院です。
周りの建物の存在で、実際の大きさが分かりにくいので、存在を知っていてもそこまで大きいと知らない人が多いです。
あまり注目されない修道院ですが、教会内部の貴重な芸術文化遺産は十分見る価値があります。
教会や博物館内部の見所に加え、立地条件が最高で料金も安い宿泊所の情報も紹介しますね。
まずは、修道院の名前にあるサン・マルティン(聖マルティン)について簡単に説明します。
聖マルティンとは?彼の有名な伝説は?
聖マルティン(フランス語では聖マルティヌス、英語では聖マーティン)は、ローマ帝国の属州パンノニアで生まれます。
15歳でローマ帝国の兵役に就き、兵役中に訪れたフランス北部のアミアンという場所で寒さに震える乞食に出会います。
乞食に自分のマントの半分を与えた日の晩、彼の目の前にその半分のマントをまとったキリストが現れます。
これをきっかけに聖マルティンは除隊し、聖職者としての道を歩みます。
ちなみに、マントを半分だけ与えた理由は、兵士の服の半分はローマ帝国のものだったからです。
後に、トゥール司教にまでなった聖マルティンですが、絵画や彫刻で半分のマントを渡す兵士の姿がよく表現されます。
修道院の簡単な歴史は?
聖ヤコブのお墓を守るために建てられたサン・マルティン・ピナリオ修道院は、中世にガリシアで最も勢力の強い修道院にまで成長します。
自分より大きい勢力ができることを嫌うサンティアゴ大聖堂と一種のライバル関係が生まれます。
1835年の永代所有財産解放令の影響を受け、1868年から修道院ではなくサンティアゴの神学校となります。
修道院の繁栄期には100人の修道士が生活していましたが、現在はごく少数の聖職者が住んでいるだけと聞いています。
神学校以外にも、大学の学部の教室や学生寮として一部使用されています。
聖マルティン・ピナリオ修道院を観光
修道院の見学の入り口は?
サン・マルティン・ピナリオ修道院は、大聖堂の北側にあるアサバチェリアの門の向かい側に立っています。
上記画像でドアが閉まっていますが、正面口から少し右にずれたところにあるドアから入ります。
サン・マルティン・ピナリオ修道院の開館時間や料金の情報は↓を確認下さい。
3€(巡礼者、学生、65歳以上 2€)
ガイドツアー(金・土・日12:00、16:30)
教会・博物館の見所は?
ガリシア州で最も重要な修道院だっただけに、ここで貴重な文化芸術遺産を見ることができます。
窓口で入場券を購入し、目の前にある長い廊下を真っすぐに進むと教会内部に入ります。
入って左側奥には、教会中央部にあるレタブロと呼ばれる祭壇画にまず目が行くと思います。
当時、読み書きができなかった民衆に対してキリスト教の教えや聖人を分かりやすく教えるため、祭壇画には様々な聖人の像が飾られています。
聖ヤコブの像や聖マルティンの司教姿や一番上には半分のマントを差し出している像などが見れます。
祭壇画の裏側には、修道士たちがお祈りや歌を歌うスペースがあり、こちらも見学できます。
聖マルティンの祭壇画を正面に見て右側にベネディクト会を創建したベネディクトゥス(スペイン語では聖ベニート)、左側に聖母ロサリアの祭壇画があります。
ベネディクト修道会の修道士に向けて修道院での生活に関するルールを書いた「聖ベニートの戒律」は、他の修道会のルールのモデルになった有名なものです。聖ベニートのレタブロには戒律を書いているベニートが表されています。
聖母ロサリアはイギリスの宗教改革によりスペインへ逃亡したカトリック教会の聖職者が持ってきた聖母像だそうです。
他にも、聖ベニートの妹で女子修道院を開いたスコラスティカ(Santa Escolastica)の祭壇画も見ることができます。
教会内部から聖具納室や昔の印刷術を紹介したスペースやベネディクト会の修道士は人々の治療のために薬を作っていた様子が分かるスペースの展示があります。
博物館スペースの上の階に、サンティアゴ大聖堂から譲渡されたルネサンス様式の木製の聖歌隊席も展示されています。
修道院に宿泊する
サン・マルティン・ピナリオ修道院には宿泊所もあり、大聖堂の真横なので、観光に便利な場所です。
ただし、一般のホテルとは違って部屋の内装はとても質素です。
宿泊したアメリカ人巡礼者夫妻や日本人に聞くと、部屋の内部はシンプルだけど、きちんと清掃されていて宿泊費も安くて問題ないと教えてくれました。
泊まるだけの場所と割切るなら十分だと思います。
まとめ
- サンティアゴの聖ピナリオ修道院は、スペインで2番目に大きな修道院。
- 聖ヤコブの墓を守るため、ベネディクト会の修道士により建てられた。
- 中世時代にガリシア最大の修道院にまで成長。
- 19世紀後半から神学校として機能し、修道院の他のスペースでは大学の学部や宿泊所などに利用されている。
- 教会内部には貴重な芸術文化遺産があって見学する価値あり。
- 宿泊所もあり、大聖堂の横で立地条件がよい。
最後まで読んで頂きありがとうございました。