サンティアゴ大聖堂栄光の門の設計者は?正門の彫刻とフランコの関係は?

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この記事では、サンティアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の建築に携わった建築家であり彫刻家のマエストロ・マテロについて紹介します。

 

大聖堂の建築期間の後半部分に関わったマエストロ・マテオですが、建物の重要部分を担当した人物です。

 

マテオ自身の簡単な説明、大聖堂内のマテオによる作品と現在も問題になっているマテオの彫刻作品とスペインの独裁者フランコとの関係についてお話しますので、是非最後までお付き合い下さい。

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Maestro Mateo(マエストロ・マテオ)とは?

Maestro Mateo(マエストロ・マテオ)は、日本語で巨匠または名工マテオと訳されます。

 

マテオに関する歴史的資料は非常に少なく、出身地についても色々説があって確かなことはわかりません。

 

1168年2月23日、フェルナンド2世が大聖堂の西側部分の完成させるようにマテオに終身年金を与えると署名した書類が現在分かっているマテオに関する最初の歴史的資料です。

 

大聖堂の工事期間は1075~1211年までの136年。

 

フェルナンド2世の署名で正式に工事の責任者に任命される前からマテオが大聖堂の仕事に関係していたとしても、1211年までの大聖堂建築期間の後半部分になります。

 

マテオと彼の優秀な弟子達が携わった大聖堂内の作品は上記の4つです。今回の展示会の作品を理解するためのエピローグとして簡単に説明します。

 

地下聖堂(Cripta)

地下聖堂(または古い大聖堂の名前でも知られる)は、教会とオブラドイロ広場の土地の高低差を是正するために建てられましたが、同時に上部に作られた栄光の門の支えにもなっています。

 

栄光の門(Portico de Gloria)

栄光の門は、12世紀~13世紀のヨーロッパ芸術移行期の最高傑作のひとつとされています。

 

1188年4月1日にマテオはこの作品を指揮したのは自分だと明らかにするために自分の像を作って残しています。

 

当ブログの『スペイン巡礼路に発展した美術の名前や特徴は?簡単に美術傑作を理解するポイントは?』という記事で、栄光の門を簡単に理解するポイントを説明していますので合わせてお読み下さい。

 

2018年の夏、10年間の修復工事を終えて昔の色彩を取り戻した栄光の門は11月から見学が可能になる予定です。

 

見学の時間や料金などについては、『【最新情報】サンティアゴ大聖堂の栄光の門の見学はいつから?時間や料金は?』の記事にて随時情報を更新しております。

 

大聖堂西側の正門

中世時代の大聖堂西の正門

 

上の絵から見てもわかるように、栄光の門がある大聖堂西側の正門はドアがなくて1日中開いた状態でした。

 

しかし、大聖堂の内部へ夜中でも自由に入れるために起こる問題が増えてくると、16世紀(1520年)に門を閉じる決定がされます。

 

門を閉じるために、オリジナルの正門にあった彫刻や装飾部分を移動したり壊さななくてはならなくなり、18世紀半ばに建築され現在も残るバロック様式の正門の完成により、マテオが作った正門は完全に姿を消しました。

 

大聖堂の聖歌隊席(Coro)

マテオが作ったのは花崗岩でできた聖歌隊席です。

 

17世紀初めに木製の聖歌隊に変わりますが、当時の聖歌隊席のレプリカを大聖堂美術館で見ることができます。

 

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名工マテオと独裁者フランコに関係がある?

中世時代に活躍したマテオと現代スペインの独裁者でのフランコに直接的な関係はありませんが・・・

 

彼とその弟子達で作った大聖堂正門にあった2体の像がフランコの所有となっていてこれが国内で問題となっています。

 

フランコが所有する正門の彫刻は?

abraham e isaac

出典: http://www.elcorreogallego.es

 

左側がIsaac(イサック)で右側がAbraham(アブラハム)像になります。

 

今見るとただの石でつくった彫刻といった感じですが、もともと大聖堂の西側の門についていたころは色がついていました。

 

当時、サンティアゴへ到着した巡礼者や住民にとって大聖堂の栄光の門と正門にある多色彫刻のインパクトといったら相当なものだったのではないかと想像しますが、なぜ2体の像がフランコの家族のものになったのか簡単に説明します。

 

大聖堂から撤去された像がなぜフランコの手に?

オブラドイロ広場に面する正門の工事により撤去された彫刻はシモンデ伯爵(Conde de Ximonde)の手にわたります。

 

1948年、シモンデ伯爵はサンティアゴ市役所にこれらの作品を6万ペセタで売却します。

 

売却に関する書類が残っており、公共の遺産なのでサンティアゴから出さないようにという条件もついていました。

 

ところが、1961年にバルセロナとサンティアゴ・デ・コンポステーラで開催されたロマネスク芸術に関する展示会で、これらの作品の名義がフランコで出品されます。

 

一体、1948年から1961年の間に何が起こったのでしょうか?

 

何が起こったのかを証明する書類はありませんが、1954年の聖年にサンティアゴを訪れたフランコの妻(Carmen Polo)が市役所の階段に飾られていたイサックとアブラハム像を気に入ったという情報があります。

 

当時の市長がフランコの妻、最終的にはフランコを喜ばせるために送ったのではないかとも考えられます。

 

何度もフランコの家族へアブラハムとイサックの像を返却するように要求していますが、家族から回答はありません。

 

2008と2011年、2018年の冬まで開催された展示会では常にフランコの家族が2体の像を一時的に貸している状態、展示会終了と同時に再びフランコの家族へと返却されました。

 

これらの作品の今後は?

サンティアゴ市役所がアブラハムとイサクの2体を取り戻そうと動いています。

 

また、ガリシア州政府は2作品を含む巨匠マテオの彫刻9作品を重要文化財(スペイン語でBienes de Interés Cultural)に登録する手続きを開始しました。

 

重要文化財に登録されても作品の名義に影響が出ませんが、登録されると1か月に少なくとも4日間は一般公開する義務がつくので、将来的にフランコ家が勝手に売却できなくなります。

 

重要文化財の決定措置に最大で2年かかるようですが、文化財登録はある意味大きな1歩となります。

 

まとめ

  • 大聖堂の136年の建設期間の中で最も有名な建築家は、マエストロ・マテロ。
  • ロマネスク芸術の最高傑作と呼ばれる栄光の門をはじめ、石の聖歌隊席、地下聖堂、西側の正門を担当した。
  • 現在の正門が取り付けられたことで撤去されたアブラハムとイサック像が現在でも見ることができる。
  • サンティアゴ市役所に売却されたものだが、現在作品の名義はフランコの家族になっている。
  • 展示会があるごとにフランコ一家から貸与されているが、公共の遺産として回復する動きがある。
  • ガリシア州政府は、アブラハムとイサック像を含むオリジナルの大聖堂西側正門にあった9つの彫刻像を重要文化財に登録するための手続きを開始。

 

最後まで読んで頂きありがとうございました。

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